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わが地元宮崎は日南の紹介⑥-1

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 次は日南市のメイン観光地の一つ、飫肥の城下町と城跡。現在の日南市の中心は、僕の実家がある吾田地区だけど、昔は林業、漁業でそれぞれ栄えてた、飫肥・油津(→※詳しくはわが地元宮崎は日南の紹介①を参照)が実質的中心だった。市政が敷かれた際、お互い中心地区なろうと対立し、その中間に位置する吾田が最終的に中心になったとか。今では残念ながら飫肥も油津も活気を失ってる状況だけど、飫肥には城下町として栄えてきた歴史があるから、結構魅力ある町だと思うなeye

 

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 飫肥城下町は武家屋敷や旧商家が立ち並んでて、昔の雰囲気をいい感じに醸し出してるcatface時間の都合で、今回はあまり回れなかったから、主要なスポットの写真と紹介にさせてもらいますsweat02まあでも何度も行ってるし、行けなかった場所も記憶をたどって紹介してみるかpaper

 まず大手門周辺~城跡を追ってみようflair

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 一つ目は、小村寿太郎生誕地。今更紹介する必要もないと思うけど、一応簡単に。。。小村寿太郎は、飫肥藩の下級武士出。振徳堂を出た後、大南学校(今の東大)に進み、ハーバード大に留学、法律を専攻。帰国後、初めは司法省に入るも、外務省に転身。その後は周知の通り、次官→大臣へと昇進し、外務官僚として活躍
 有名なのは日露戦争講和会議(ポーツマス条約調印)と1911年の関税自主権の回復を果たしたっていう二つかな。地元じゃ、小村の評価は高いけど、大陸政策を推し進めた訳だから、正直全国的にはどうなんだろう・・。彼が進めた政策は置いといて、個人的には小村のすごい所は人柄だと思う。ありきたりな理由だけど、頭が良く洞察力や先見の目があって(これはどこでもそう言われる)、芯(信念)がある小村の、仕事を精一杯全うしようとする姿勢には憧れるなあ。やっぱり講和会議後、何の弁明もしなかったエピソードが一番小村の人柄、仕事に懸ける情熱、ひいては国を想う心を表してると思う。

 ふつーのこと書いただけで、もうこんだけ長くなってる(゚ー゚; これじゃ誰も読んでくれない気がw ま、気を取り直して紹介を続けようdash

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 二つ目は、豫章館。ここは江戸時代に飫肥藩の藩主だった伊東氏が、明治2年に作った屋敷と庭園。伊東氏の簡単な説明は⑥-2で紹介するとして、この庭園はどうやら枯山水式らしい。恥ずかしながら今回初めて知ったってゆー(;´▽`A``
 この豫章館、母屋・御数奇屋・台所・便所・納屋・蔵及び庭で構成されてて、豪華すぎず簡素すぎず、飾らない感じがたまんないね(・∀・)ちなみに今の母屋は瓦葺だけど、昔は茅葺だったんだってさear

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 やば、思った以上に写真載っけ過ぎたわ(^-^;A まあそれだけ個人的にはお気に入りってことでlovely

※写真右上から…母屋の入り口正面/母屋の中の様子/母屋縁側/御数奇屋/北面の小庭

      ―つづく―

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