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2009年10月

衝撃!

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 今日日経主催のキャリアフォーラム(企業説明会)が市内であって、友達と参加してきた。①日経ナビの使い方 ②自己アピール法の基礎 ③中電・広銀・マツダ三社のパネルディスカッション、の三つをテーマに会が進行して、今から就活していく上でためになる話が聞けて行った甲斐があったcatface

 さて話は変わり、次は衝撃を受けた事件の紹介を。自分は日本史学を専攻してて、これまでで一番大変な時期を迎えてるわけだけど、その国史学が単位とは関係なしに毎週水曜⑤コマに行う読書会(=M2修論の、4年生は卒論のプレ中間発表/3年生は課題図書の解説・考察及び発表)で、ある4年生の発表を聞いて言葉を失った事件がそれ。「え……こんな発表があり得るの!?」耳を疑いたくなるような出来で、まさに激震が走った瞬間だった。

 その発表は、先行研究の整理・史料の読込みをやった後、そこに独自の視点で分析を加え、根拠を示した上で自説を述べ、さらにその見解の問題を挙げることで今後の課題と展望を示すという、言ってしまえば当たり前の手順を踏んだ論文。でも、こういった諸要素全てを正確にクリアしてる論文は学部生からはほとんど出ることはないし、実際今まで見たことなかった。論文の基礎を文句なしでクリアしてるだけじゃなく、あの発表の素晴らしいのは、①史料(近世文書)の読込みや分析が相当綿密に施されてて、②そうして得た根拠を基に多様な創造的見解を生み出していて、③それを図表や史料・資料とレジュメを上手く連動させることで分かりやすくプレゼンしている、の三つ。通常、生徒が発表をし終えた後の質疑応答の場面では、院生や教授から質問責め、指摘、そして手厳しい批判の集中砲火でボコボコにされるのに、あの発表では質問こそあれ、指摘・批判が一つもなかった。その信じがたい光景を見て、「・・・・・。」もう絶句状態w 一体何が起きているのか分からなかった。「え……批判なしの発表とかこの世にあると?!」と驚きを隠せず、ただただ唖☆然(   ゜Д゜  ) このとき大学に入って初めて天才を見た。

 あの発表を聞いて、初めはすごいとしか思えなかったけど、時間が経つにつれて、今度は徐々に自分も含めた三年生の発表レベルの低さを改めて思い知らされた。と同時に、次のことを直視せずに入られなくなった。それは「国史だから…」っていう問題。要するに、国史は文学部一ハードな専攻ということだけで他専攻より優越を感じて満足したり、時には言い訳に用いてきたんじゃないかという問題。正直言うと、確かに他専攻の演習内容を聞くと、全く演習と言えないお粗末な内容のものもあって、「こりゃ緩いな」とは思う。じゃあ、自分らは全力で取り組んでるのかと言うと、はっきり言って100%出してる人は0人。頑張ってる人で、せいぜい70%くらいだと思う。そんな姿勢のくせして、実際のところ「国史だから忙しい、きつい、がんばってる」って言って満足してるだけなんじゃないかな。その完璧な発表を聞いて、改めてこの問題について考えさせられた。ああいった発表をして初めて「国史だから…」っていうフレーズが使えるわけで、大いに反省させられたし、今までチンケな発表をして国史専攻を名乗ってた自分をすごい恥ずかしく思った…。あの発表をした4年生は、3年の時にはもうすでにほぼ毎日研究室に遅くまで残って課題に取り組む姿勢を見せてたし、一方じゃ就活も頑張り、大手企業の内定をもらってて、本当に勉強と就活を一所懸命頑張って両立させてた。それとは対照に、今度は、浪人して入ったくせして、結局このままなんとなく演習や卒論を乗り切るのはまずいっていう危機感が襲ってきた

 もう一度国史学に向き合ってみて、全力で演習課題に取り組む姿勢を見せる必要性を強く感じた。最終目標はよい卒論を書くこと。これこそ、学生本来の最終目標なわけだし、適度に済ませたんじゃ大学に来た意味がない
 就活就活と叫ばれてる今、大学生としてやるべきことは何か?という問いの答えは、専攻を全力で頑張ることだと改めて認識できた。この問いから逃げずに頑張れた場合だけ、今日の説明会で取り上げられた「学生エピソード」(→面接やエントリーシートに関連)に「専攻での勉強」を挙げる資格が得られる気がする。。。
 というごく当たり前のことを、実際に説明会に参加し、あの衝撃の事件と関連させて再認識したあんこでした(;´▽`A``

※写真は近代演習で使う史料「酒谷村土地整理…云々」(宮崎県文書センター所蔵)の一付録部分。明日からいよいよ史料の分析にも力を入れねばcoldsweats02


 
 

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さよなら「OGATA」

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 この一週間、カープ所属の「OGATA」がチームを去ることになって凹んでました(u_u。) だいぶ落ち着いたので、今回は二人の「OGATA」に関する想いを簡単に書いてみます。。。

 まず、緒方孝市。先日の引退試合では感動的なプレーを見せてくれました。詳しい内容は周知の通りで、個人的には最後の走塁シーンが印象的でした。怪我に怪我を重ねた体がもう限界なんだっていうことを物語っていて、怪我をしても懸命に這い上がってきた緒方もさすがにもう……というシーンでした。それを見てすごく胸に来るものがありました。23年間、常に全力プレーでファンに対して諦めない姿勢を見せてくれた緒方。有終の美を飾れなかったことはファンとしても悔しいけど、次は指導者としてカープに優勝をもたらして下さい。本当におつかれさまでした。。。

 そしてもう一人、尾形佳紀。先日まさかの戦力外通告を受けました。前田さんの次に好きな選手だっただけに、そりゃもうショックでした・・・。尾形の他により適当な選手が何人かいたから、まさかないだろうと思ってたけど、聞いてビックリもう呆然でした。

 尾形を初めて見たとき(2004年)、久々に足が速くて打撃のいいカープらしい選手が入ってきた!と衝撃を受けました。デビュー二年目の開幕戦でスタメン出場、マルチ安打を決めて当初はまさに絶好調でした(守備はノーコメントでw)。しかし、交流戦で古傷の右ひざを損傷し、即登録を抹消され、それから約二年弱もの間姿を見せませんでした。実はプロ入り前に大怪我をしたせいでプロを断念して社会人に入り、そしてやっとプロ入りを果たした後の悲劇でした。これほど長期にわたるとは思ってなくて、久々に一軍に上がってきたときはそれだけでもう満足だった覚えがあります。その上がってきた年(2007?)で忘れられない試合が、8月末(多分)の巨人戦で放ったサヨナラ弾。確か9表に永川が同点に追いつかれて、その裏二死走塁なしの場面で代打で出場したんだったと思う・・ちと記憶が曖昧(゚ー゚; で、三木っていう投手から、何球目か忘れたけど、尾形らしく思いっきり振り切った打球はライトスタンドに吸い込まれサヨナラを決めるという劇的な幕切れでした。このとき実家のCATVで初回からずっと見てたんだけど、この瞬間は「しゃああああああ!!!」って叫びながら立ち上がって拍手してました(^-^; ほんとそれくらい嬉しかったですね、あの試合は。そしてその日のお立ち台に呼ばれていった言葉に泣かされました。「また野球ができるとは思わなかった」という本音と、戻ってこれたのはファンのおかげだというようなことを確か言ってました。尾形が泣いてたのを見て観客も感動してましたね。それほど切羽詰ってたのか・・よく這い上がってきた尾形!って思うと、自分も泣かないわけにはいかなかったですねつД`)・゚・。・゚゚・*:.。

 それ以後は、再び故障もあって中々上に上がってこれず、今回首を切られました。正直言って、納得はできません。人気も実績もある尾形をきるなら、他の給料泥棒はどうなるの!?と思ってしまうし、見切るのが早すぎると思うからです。ただ、スカウト転向の打診に対して、尾形がすんなりと承諾し、現役にこだわる姿勢を見せない所から考えると、もしかしたら、大怪我でもう足が使い物にならないのかなと思ってしまいますね・・。抜群のセンスで有望視されていただけに、プロ入り前と入団後の怪我が悔やまれます。。。プロ選手としての期間は短かったけど、その僅かな期間の中で鮮烈な印象を与え、また怪我後も懸命に這い上がってきた姿勢に、多くのカープファンがあなたを愛していました。実際に去年までは背番号4をつけたファンはたくさん球場にいましたしね。ここで尾形の選手生命が終わるのは悔しいし、悲しいけど…緒方と同様、指導者としてチーム作りの支えとなってください。

 

 今のカープで、カープの伝統を受け継いでる現役選手は前田さんだけです。伝統って何?って言われると答えにくいし、人によって見方が違うんだろうけど、自分は諦めない精神、向上心だと思います。自分が少年時代のカープはほんとに強かったです。それはチーム力だけじゃなく、いくら点を取られてもじわじわと追い上げるあのしぶとさ、勝ちにこだわる姿勢、つまり諦めない精神が根っこにあったから強い野球ができたんだと思ってます。精神論ってあまり好きじゃないですが、これに関してはどうもそう思いたくなりますね。一方、今のチームからは、はっきり言ってそういう姿勢は微塵も感じられませんね。前田・緒方を抜いたら、外部から来た石井くらいでしょう。だから、野村新監督にはスキルだけじゃなくこの辺も徹底的に鍛えてもらいたいです。いきなり監督なんだし、初めは失敗してもいいと思います。ただ、前任者みたく、自分で説明をつけれないような采配(=迷采配)や贔屓だけはして欲しくないです。なので、野村に期待するのは①カープの伝統を伝えること ②理にかなった采配 の二つです。新体制になってカープはきっと変わると思います。ただこれに関しては根拠はないですw 球団にはこれを機に、監督だけじゃなく首脳陣にもメスを入れて欲しいですね。根っこから変われば、数年後には強いカープが再びやってくるはずです。戦力的に決して他と見劣りしない今こそ、思い切った根っこの変革(外部招聘など)が必要だと思うんですがどうでしょう?

 

 最後になりましたが、緒方も尾形も、怪我をして悔しい思いをし、それに耐えて這い上がってきた分、きっといい指導者になれると思います。選手を辞めても人間的にも魅力ある二人のことが好きなので、第二の野球人生も応援しています|ω・)ノ
 たくさんの感動をありがとう!!また球場で会おう!

※写真は2007年の最終試合(=佐々岡引退試合)での一幕。

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西条酒祭り

のん太くんを盗み撮り^ ^

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 信楽焼きの代表的な置物、酒買い小僧(狸)をモチーフにしとるげな。ぜっんぜんかわいくねw

 毎年⑩月上旬に東広島の西条で二日間にわたって行われるイベント、酒祭りに行ってきましたwink 毎年20万人くらい来るらしく、すんごい人の数だったわ。あと、至る所に酔っ払いが(;´▽`A``

 

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 いくつか会場があって、駅を正面に、駅前のブールバール(市道)を挟んで右側がメイン会場(↑写真)で、左側が酒広場。メイン会場ではいろんな屋台が出てます。中でも美味しかったのは唐揚げ協会公認の唐揚屋さんの唐揚chick 鮎の塩焼きも気になったけど、先に牛串選んだせいで結局手が出せず終い・・・○rz 

 メイン会場で腹ごしらい&ビールや酎ハイを飲んで、ちょいと駅前セブンへ。駅前セブンのオーナーとうちのバイト場のオーナーは知り合いの関係(というか、うちのオーナーは元駅前の従業員で、出店費用を一部投資してもらってる)にあるために、10・11日はうちのバイト場からも何人か刈り出せれるって話だったから、とりあえずあいさつしに行くかみたいなノリでね。んで、三人ともいいやつ&いい娘だから、何か買ってあげようと思って寄ってみた。。。うん、かなり大変そうだったw なのでビールとおでんを買ってあげました(^-^;
 んで、いよいよ酒広場へ。

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 ほんとは最初にここ行きたかったんだけど、一度入って出たらもう入れないから、もう一人の友達の到着次第だったってゆー。ちなみに朝はすっごい行列でした。

 昼過ぎになってようやく合流、中へ。。。入場券は一枚1600円(※前売り券=1300円)。た、高い・・・。日本酒好きでもない自分にとっては、確実に損するやろなーって思ったけど、雰囲気が好きだし、こういう場合っていつも何も考えず出してしまいますね(ノ∀`) 酒広場では、まず入り口でお猪口がもらえて(※待ちかえりOK)、あとは好き放題勝手に飲んで下さいっていう方式。全国各地の清酒が揃ってて、入り口で配られる酒一覧表(→銘柄や酒度が載ってて、番号化されてる)を参考に、みんなエリア別コーナーに行って「○○番!」って頼む感じpaper

 とりあえず宮崎の清酒飲もうと思ったら、もう売り切れてた( Д) ゚ ゚ 宮崎からは二種類しか出てなかったし、すぐなくなったんだろなあ。ってことで、適当に福岡や京都や北海道やらの清酒を飲んでみた。。。うん、違いがよく分からんw 日本酒好きの友達は「うめーうめー」って言ってたけど、まだ自分には分からん味だわ(;´д`) あ、でも甘めというか、フルーティーなのが自分は好きらしい。佐賀の「鍋島 特別本醸造ってやつはちょっぴり美味しいと思ったheart04 日本酒好きの友達は茨城の「稲里が一番美味しかったらしい。

 外人さんもいっぱい来てて、そういや「だいじょぶだいじょぶ~」って飲みながら言ってた外人がおって面白かったw そこでも焼き鳥やポテトとか食べながら飲んでグダグダ過ごしてたら、もう夕方の③時半。実は⑤時からバイトやって、あと①時間しかないわ、何しよ?ってなったから、なぜかカラオケで①時間歌うことに^^;

 あっとう間に①時間過ぎてバイトへ。最初はくらくらしょったし、声も酷かったけど、仕事はちゃんとやってきましたbleah 明日も祭りあるけど、またバイト入ってるし、お金もないし、男だけで二日間行くのも空しさしか残らんし、止めときます(´,_ゝ`)
 お金は一杯飛んだけど、久々に祭りの雰囲気が味わえて楽しかったnote 来年就職決まってたらまた行きたいなあ。


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わが地元宮崎は日南の紹介⑥-3

 さてさて、最後は今回行けなかった場所を、自分の曖昧な記憶とパンフレットの説明を参考に簡単ながら紹介して、飫肥編を締めくくりたいと思います|∀・)ノ なので写真はないですw

 四つ目…小村寿太郎生家。その名の通り、小村が育った生家。元々は生誕の碑にあった小村家だけど、明治後期に現生家に移ったらしい。見た感じの印象は、普通だったと思う。特徴も何もなかった気がする。

 五つ目…小村記念館。国際交流センター・・・が正式名称で、確かここでは小村の生い立ち~引退までに起きた大きな出来事を中心に解説がなされてたと思う。パンフには顕彰するために作られたって書いてある。個人的には、ここは行く価値なし(ノ∀`)

 六つ目…振徳堂。飫肥藩の藩校で、県内では有名な安井息軒やその父(滄州)が教鞭を執った藩校がここ。ちなみに、小村も振徳堂の出身。小村の恩師、小倉処平(西南戦争で没)もここで学習した。ここで勉強してたのか~って想像しながら建物を見ると、感慨深いです。

 

 えー、これ以外には商家資料館や旧山本猪平家などあるけど、これ全部回る観光客いるのかな?さすがにみんな全部は行かない気がするeyeってことで、余裕があったらでいいと思うな。あとは、、、小村の墓や伊東家の墓くらいしか思い浮かばんw あ、あと飫肥城の天然の掘りとなってる、酒谷川(U字型に流れてる)を見てみるのもいいかも。昔は早朝に釣りに行ったもんだ。自分は下手くそやったから全く釣れなかったけど^ ^; 無駄な早起き乙○rz

 

 以上、飫肥の城下町(武家屋敷などしっかりと保存されてある区画)自体は小さくて、地元の人でもあんまり細かい所までは見てない気がするなあ。でも、よく見ると意外とたくさんの見所があって、城下町の雰囲気は十分楽しめます。これっていう目玉スポットはないけど、事前に少しでもいいから歴史を調べて、それを頭に入れてると、武家屋敷通りを歩いたり、城跡を回ったりするときに、当時の人々の様子を想像しやすくなるはずです。現存してない場合は当時を想像しながら散策することも大事になってきます(多分w)。飫肥も昔から現存する建物自体はそんなに多くないけど、石垣や道など部分的に残ってる物はあります。そこから建物や人、最終的には人々の日常を想像してもらえたら、きっとなんとなく散策するより楽しい散策になるはずnote ともかく、古き城下町の雰囲気は十分漂ってるので、あとは訪れた人が各々独自の想像を働かせてみて下さい。きっと来てよかったと思える旅行になるはずですwink

 

是非日南にお越しの際は、飫肥城下町へ(o・ω・)ノ))

 

―おわり―

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わが地元宮崎は日南の紹介⑥-2

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 三つ目は飫肥城跡。写真は大手門(とその手前に空堀)で、ここをくぐると、本丸や御殿があった城跡へと道が続いていく。とその前に、少し簡単に中世以降の飫肥の歴史を紹介してみようflair

 まず、戦国初期は、昔から薩摩に勢力を張っていた島津氏が飫肥にも拠点を築き、ここに新納氏を派遣した。それに対し、伊東氏も日向国内で徐々に勢力を拡大していった。日向にも勢力を拡大したい島津氏と、日向国内で大名として地位を確立したい伊東氏、両者ともに重要視したのが飫肥だった。理由は油津編で言ったように、主に天然の良港を持っている点で、互いに是が非でも支配下に置きたい領土だったらしい。そうして戦いの火蓋が気って落とされ、約100年に渡って飫肥をめぐって両者激しく争うことになる…(中略)…結果として、伊東氏は島津氏に負けたんだけど、最終的には秀吉の九州平定の際、味方についた伊東氏に飫肥が与えられ、関ヶ原では東軍に味方したことで江戸時代でも飫肥を安堵された。結局、飫肥は二転三転あったものの、明治の初めまで伊東氏が支配することに。。。
 てか100年も飫肥をめぐって争うとか、すごい執念だなあ(;・∀・)こういう複雑な経緯があるから、地元民の意識としては、われわれは元々島津方だったんだって言う人もいるかもね。でも個人的には伊東方かなー。ま、今時誰もそんなこと考えてないかw
 17世紀半ばに地震のせいで建物が倒壊し、今のような城跡になったっぽいけど、ほんとかな?その辺ちょっとよく分かりませんでしたsweat02もう少しちゃんと調べんといかんね。。。もし昔の城図が残ってるなら、いつかは櫓や本丸や各出城etc..復元して欲しいなあ。


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 写真では分かりにくいかもだけど、城の深部へと続く階段の幅に注目すると、普通より一歩一歩が広いんだよね。自分のむかーしの記憶によると、馬の歩幅に合わせてるとか誰かが言ってた気がする。あ、あと四角や丸い窓は鉄砲を放つ窓だったとかも聞いたことあるわ。これ合ってんのかな?w

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 左写真…松尾の丸(江戸期書院造の御殿)。御座の間や茶室や湯殿などで構成されており、当時の生活を想像させてくれる生活空間がリアルに演出されてる。写真はスペースの都合上カットでw
 右写真…飫肥城歴史資料館。今回は入れなかったけど、確か甲冑やら武具が展示されてあった。城まで来たんなら、ついでに覗いてみたほうが得々eye

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 松尾の丸を降りたその正面が本丸跡地で、今は飫肥小学校(中学校もすぐ傍)がある。で、その小学校を右手にさらに奥へと進むと、石垣に囲まれた段の高くなったスペースが登場。しかも、そこにはたくさんの杉が林立してる。実はここも城跡(旧本丸跡)らしい。普通はここまで観光客も来ないけど、「NHKの連続テレビ小説 わかば」で使われたげなeye 古い石垣や門や階段があって、またコケがいい味出してんのよね~(*´ェ`*)個人的には大手門とかよりここのほうが好きだわnote

 

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 そうそう、この鐘楼で思い出したわ。毎年、10月下旬に飫肥城下祭りが二日間やったかな?開催されて、特に中学校の頃はよく連続で行ってたね。その頃は友達と遊ぶことばっかで、不思議と異性とかあんまり考えんかったわー。友達6、7人くらいで吾田からチャリこいで行って(~約20分)、んで城跡内と大手門通りに立ち並ぶ屋台でご馳走を買うかどうか品定め。その途中に知り合いに会っては、「お~○○!」やら「誰と来ちょって?」やら「○○見た?」やら他愛もない話を。自分の気に入った物を一通り買ったら、写真の鐘楼にみんなで集まって、行き交う客を上から眺めつつ、話しながら食べるのが僕らのお決まりでした。この祭りで一番の美味しいのは、何と言っても「はしまき」sign01うわー懐かしいこつよヽ(´▽`)/

                   
          

     ―つづく―

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わが地元宮崎は日南の紹介⑥-1

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 次は日南市のメイン観光地の一つ、飫肥の城下町と城跡。現在の日南市の中心は、僕の実家がある吾田地区だけど、昔は林業、漁業でそれぞれ栄えてた、飫肥・油津(→※詳しくはわが地元宮崎は日南の紹介①を参照)が実質的中心だった。市政が敷かれた際、お互い中心地区なろうと対立し、その中間に位置する吾田が最終的に中心になったとか。今では残念ながら飫肥も油津も活気を失ってる状況だけど、飫肥には城下町として栄えてきた歴史があるから、結構魅力ある町だと思うなeye

 

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 飫肥城下町は武家屋敷や旧商家が立ち並んでて、昔の雰囲気をいい感じに醸し出してるcatface時間の都合で、今回はあまり回れなかったから、主要なスポットの写真と紹介にさせてもらいますsweat02まあでも何度も行ってるし、行けなかった場所も記憶をたどって紹介してみるかpaper

 まず大手門周辺~城跡を追ってみようflair

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 一つ目は、小村寿太郎生誕地。今更紹介する必要もないと思うけど、一応簡単に。。。小村寿太郎は、飫肥藩の下級武士出。振徳堂を出た後、大南学校(今の東大)に進み、ハーバード大に留学、法律を専攻。帰国後、初めは司法省に入るも、外務省に転身。その後は周知の通り、次官→大臣へと昇進し、外務官僚として活躍
 有名なのは日露戦争講和会議(ポーツマス条約調印)と1911年の関税自主権の回復を果たしたっていう二つかな。地元じゃ、小村の評価は高いけど、大陸政策を推し進めた訳だから、正直全国的にはどうなんだろう・・。彼が進めた政策は置いといて、個人的には小村のすごい所は人柄だと思う。ありきたりな理由だけど、頭が良く洞察力や先見の目があって(これはどこでもそう言われる)、芯(信念)がある小村の、仕事を精一杯全うしようとする姿勢には憧れるなあ。やっぱり講和会議後、何の弁明もしなかったエピソードが一番小村の人柄、仕事に懸ける情熱、ひいては国を想う心を表してると思う。

 ふつーのこと書いただけで、もうこんだけ長くなってる(゚ー゚; これじゃ誰も読んでくれない気がw ま、気を取り直して紹介を続けようdash

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 二つ目は、豫章館。ここは江戸時代に飫肥藩の藩主だった伊東氏が、明治2年に作った屋敷と庭園。伊東氏の簡単な説明は⑥-2で紹介するとして、この庭園はどうやら枯山水式らしい。恥ずかしながら今回初めて知ったってゆー(;´▽`A``
 この豫章館、母屋・御数奇屋・台所・便所・納屋・蔵及び庭で構成されてて、豪華すぎず簡素すぎず、飾らない感じがたまんないね(・∀・)ちなみに今の母屋は瓦葺だけど、昔は茅葺だったんだってさear

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 やば、思った以上に写真載っけ過ぎたわ(^-^;A まあそれだけ個人的にはお気に入りってことでlovely

※写真右上から…母屋の入り口正面/母屋の中の様子/母屋縁側/御数奇屋/北面の小庭

      ―つづく―

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わが地元宮崎は日南の紹介⑤

二度目の帰省㊥も地元を散策したので、恒例の紹介の続き

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 地元じゃ「鵜戸(うど)さん」でお馴染、鵜戸神宮に行ってきました。写真の桜門、ちょっと傾いてる気がする・・まいいや^ ^; 鵜戸神宮ができたのは伝承によると推古朝。伝承やら神話はあんまり好きじゃないので、とりあえず古代以来、地元民や修験者や権力者の信仰を集めてきた神社としておきます(^-^;

 

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 鵜戸神宮は日南海岸線の途中にあって、日南から出発した場合、富土や伊比井よりも手前にある鵜戸地区の断崖にある。海がすぐ傍にあるから、参拝中は潮の香りがしていかにも宮崎~って感じがする´ω`)

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 門をくぐるとすぐ左手に事務所があって、しばらく進むと玉橋(神橋)という反り橋に到着。戦前はここから先(→下の鳥居をくぐると本殿)裸足で参詣するしきたりがあったらしい。

 ここを渡って階段を降りると、いよいよ本殿。とその前に、本殿よりも今じゃこっちのほうが有名なのかもeye

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 崖側に亀石があって、その縄で囲まれてる部分(四角穴)に運玉(粘土の素焼き)を男は左手女は右手で投げて見事入れることができれば願いが叶うっていう願掛をするのが定番。そういや、毎年、カープ選手や監督が優勝祈願で投げることでも有名だわflair昔は銭だったけど、小学生が取りに行く事件が多発したせいで、運玉に変わったって説明が書いてあった。この運玉を作ってるのは鵜戸小の生徒って説明があったけど、確かつよし学園(障害児施設)の生徒も昔から作ってたと思う。えー僕は今回は投げませんでした。まあいつでも投げれるし、一人でこれやるのはちょっと寂しくて(;´Д`A ```

さて、肝心の本殿をアップしようと思ったら、間違って消してた\(^o^)/ うわー・・また今度行ったときに再編集するんで、今回はこちらで我慢して下さいw 写真のように、本殿特徴は洞窟内に建立されてる、極彩色で彩られてる、権現造の三点本殿の正面、裏、洞窟の様子はこんな感じですsweat01

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 ちなみに本殿の裏にあるのが、神話に所縁のあるお乳岩。育児のために、豊玉姫が左乳房をくっつけという伝承があるため、「鵜戸さん」に参詣する人々は安産・育児をお祈りして帰るのが一般的|ω・)

 

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 右手に稲荷神社があったから、なんとなく立ち寄ってみると、すぐ傍の看板に「ここから380m(確かそのくらい)・500m先に神社と御陵」があるって書いてあって、面白そうだし進んでみることに。ただ、閉門まであと30分だったから、大急ぎで階段を上っていくあんこ・・。

 進めど進めど階段が続いてて、お目当ての神社が見える気配はいっこうにしてこない。でも、ここまで来たしと思い、暗くなる中どんどん奥へ上へと進んでくと、今度は階段が消えた・・・。あれ?おかしいなと思いつつも、引き下がれず、今度は険しい山道を手も使って這い上がっていく。んで、やっと着いた~と思ったら、写真を見てもらえば分かるように、墓ともなんとも言えん物がひっそり立ってた。まあ皇族とはいえ、やっぱこんなもんかと御陵には納得したけど、神社に関しては全く見当たらんかったから、一人でブーブー言うあんこ。

 時間を見ると閉門間近だったから、またまた大急ぎで山を下っていくあんこ。下ること数分、それまで軽快に下っていってたのに、目の前にいきなり草も何にも生えてない急斜面が出現。んで、辺りを見渡しても道がなくって、まさかの鵜戸で遭難\(^o^)/ え?いやいや、マジか?と焦りながら道を探せど探せど見当たらず・・。探してる途中に斜面に足を滑らせズザーっと落ちてくあんこ。 落ちてく途中、辛うじて木の枝を掴んでなんとか体勢を立て直したけど、まさかの4m落下w 靴も鞄もズボンも泥だらけ┗(^o^)┛ これで遭難したらマジ恥ずいやろーと思いながら必死に道を探すこと20分。草がすっごい生い茂ってる場所があって、そこに一か八か飛び込んでみると、またもや2mくらい落下w なんとか着地して周りを見渡すと、見覚えのある光景が。よかった・・助かったーと思いながら、携帯のライトで道を照らしながら急いで下山。。。

 そうして、なんとかスタート地点まで戻ってこれた。時間を見ると、18:30。一息つく間もなく、急いで門へ。閉門時間だったけど、運よくまだ空いてた。途中、神官の一人と遭遇^ ^;参拝客がこの時間にいること自体まず驚きなのに、なぜか泥だらけ汗まみれの自分を見て、「!?」な顔してた

 鵜戸神宮はそのロケーションと本殿玉橋亀石(と運玉投げ)といったたくさんの見所があって、宮崎に来たら是非行く価値があると思いますnote 但しsign03稲荷神社の後方に続く迷いの森には行かないほうが身のためです

 

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vs.横浜(9月29日)

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 友達と野球観戦に行ってきました。大学一年では、8回二年では、13回。そして今年は……たったの2回。アホ監督の采配に我慢できず、開幕戦以来という、自分にとっちゃあり得ない年になってしまった。

 写真はその前田さんの看板。JR広島駅から新球場に向かう道路沿いに、④月の時点ではなかった主力選手の看板が並んでた。試合終了後、ここの通りを再び通って帰るとき、前田さんの看板を見て、人ごみの中思わずじっと立ち尽くしてしまった・・。当然ながら、前田さんがいない試合なんて見ても面白くなかった。おととしや去年のように、前田さんがいる試合が当たり前だったから、今の境遇がほんと残念で、思わず涙が出そうに・・(つд⊂)来年こそ新監督の下、前田さんが復活することを祈ってますweep

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 肝心の試合ですが、えー、あまりの貧打に言葉が出なかったsweat02最終回までまさかの1安打。。。対する横浜打線も、監督が最善の策を用いてもそれに選手が応えられず、なかなか逆転できないってゆー。なんともレベルの低い試合展開。結局9回裏、廣瀬のヒットを足がかりに、最後は栗原が意地の一振りでゲームを決めました。ヒーローは栗原だったけど、真のヒーローは小窪でしょsign019回表、絶体絶命のピンチを、ダイビングキャッチでアウトにしたあのプレーがあったから、最終回の攻撃につながったんだと思うなあ。

 正直見所はそれだけだったけど、開幕前から使え使えと言ってた、小窪廣瀬の二人が活躍してくれたから、一応収穫はあったかな。あと、横浜打線とはいえ、投手陣はきっちり仕事をしてくれました。来季、まともな采配で舵を切ってくれれば、CSも十分狙えるなって感じたeyeそれにしてもカープにいる害(外)人は、シュルツ以外何の役にも立たんなあ^ ^;

※写真右から…試合前の球場とカープお姉さん/友達とバックスクリーン/当日のヒーロー、栗原


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 こちらは定番のカープうどんnote 恥ずかしい話、あんだけ球場行っといてこれまで食べたことなかったってゆー(゚ー゚;A お味のほうはというと、、、噂どおりこれといって普通w

 

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 こちらは横浜のアゴ川じゃなくて、内川。横から見ると顕著でしたw
 この日はもちろん前田さんのユニ・タオル・リストバンド・団扇で固めて観戦。これが基本ですよね~|∀・) 来年こそ指定席であるレフトの守備につく前田さんを見たいなあ・・。

 

 緒方がついに引退を表明しましたね。少年時代から憧れてた選手たちがどんどん引退していく中、広島からもまた一人去っていく・・。ほんと寂しいです(ρ_;)前田さんと同じく、怪我に悩まされた選手。全盛期は攻走守全てが揃ってて、手がつけられない素晴らしい選手でした。一見クールに見える緒方だけど、内に秘める闘志と時折見せるガッツ溢れるプレーは今も目に焼きついてます。今は悲しいけど、またいつか広島に戻ってきて、チームを優勝に導いてくれることを期待してます。少し早いですが、23年間本当におつかれさまでした。

 

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