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四回目の原爆投下の日

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 広島に来て早4度目の8月6日だった。

 行きたかった広島に実際に来たけど、年々戦争に対する意識が薄らいでいく。

 忘れているわけじゃないけど、昔ほど意識しなくなってきた。

 理由は、「現状」に対してどうしていいか分からないから。

 祈りを捧げ、運動に参加することに何の意味があるのか分からない。

 個人的には、もう核の傘下から抜け出すことは出来ないんじゃないかと思っている。

 みんな自分が可愛いもの。権力のある他人を、敵に回したら怖いもの。

 被爆者の方々には申し訳ないが、こればっかりは仕方ない。テコでも動かない。

 言い訳。

 こうやって個々人が諦めるから、いつまで経っても何ら変化が訪れないのかな。

 それならなぜ自分は相も変わらず今年も市内に向かったのか。

 それは、戦争があったという事実を忘れないため、確認するため。

 そして、犠牲になった人々に対して抱く申し訳なさがそうさせるんだと思う。

 自分は日本史を専攻しているから、普通の人よりは意識が高いんだろう。

 なぜ戦争が起きたのか?と大きく問うつもりはないけど、少しでも当時の情勢を構造的に理解したいと思っている。

 戦争手段に対する認識はどうか。

 たとえば、被差別爆撃。

 そもそもこれ自体、アメリカより先に日本が重慶で実施している。

 でも、それ以上のことをサラッとやってのけるあたりはさすがアメリカだと思う。

 今更それに対して批判することは何ら意味ないし、謝罪を求めもしない。

 が、原爆も含めた被差別爆撃が正しいわけがない。

 百万歩譲って早期終結を狙った「仕方ない」攻撃だったとしよう。

 それでも反省することは全くないのか。

 一体いつこの辺りの認識は変わってくるのか。

 もうあれから65年も経っているのに。

 相変わらず、被害者面しつつも核に守られている日本と、反省する訳ない大国。

 滑稽。

 しかし、自国の平和を考えない国があるか?隣国が攻めてくるかも分からないのに、わざわざ玄関の戸を開けて外出するような危険を冒す必要はない。

 確かにその通り。それがアンパイだろう。

 でもそういう論理で重要な部分に目を覆っているんじゃないか。

 実験台にしたあの国に、そしてあの忌まわしい核に守られた結果(=「平和」)の中で過ごすくらいなら、いっそ0からスタートしたらいいのに。

 そんな「現状」で非核を唱えても他国がついてくるわけない。

 でも、自分にはどうにもできない。

 だから間接的にだけども、せめて戦争があったことだけは忘れないようにしたい。

 実際に現地に行って、当時の光景を想像しながら色々思いをめぐらせ、記憶に止める。

 でも、これこそ言い訳。

 そうやって本音を言いながらも、偽りの「平和」の中で生きていくんだろう?

 だから被害者の方々に対して、後ろめたいし、申し訳ない気持ちになる。

 でもどうしていいか分からない。

 と思いながら、燈籠を眺めていた。

 相変わらず暗ーい心。

 そんな中で一つのキャンドルに目が止まった。

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 「friend」

 自分の目には国境を越えた「友達」を訴える作品に映った。

 この先上がどう考え、どう動くか知らないが、いつか下が輪を作り、大きな影響力を持つようになる日が来ればいいな。

 そしてこれもまた傍観と言われれば、傍観。

 気づいていても、どうすればいいのか自分には分からない。

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