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2010年10月

わが地元宮崎の紹介②―青島

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 またまた帰省中の一コマを紹介|∀・)ノ

 青島

 青島は日南から宮崎市内に向かう際、必ず通ってきた町だし、昔からなじみのある町。ほんと昔は、休日になればこどもの国で遊んだり、ビアガーデン連れられたり、巨人やサッカー(ジュビロの紅白戦とか)見に行ったりと、楽しかった思い出しかないなあ。そんな青島(いや宮崎の観光自体)のピークは1960~70年らしく、それは皇太子(現天皇)の新婚旅行地として選ばれたから。この話は親からも何度か聞かされたっけ。市内や海岸線は青島行きのバス(宮交)でごった返しで、海岸沿いの店は大繁盛だったらしいeye

 いつだっけな、青島(海岸沿い)をろくに通ることがなくなったのは。。。確か、2005年くらいに、青島バイパス(山沿い)ができたんだと思う。そのおかげで市内への時間が短縮されたんだけど、代わりに海岸沿いを通らなくなってしまった。たまに通るとしても、英語で話すおっちゃんが経営してるガソリンスタンドに寄るときくらい。だから、青島の海岸を見れるのはバイパスの高所に達したときくらい(☞そこから見える景色もこれはこれで素敵ですが)。

 今ではもう完全に寂れてしまって、昔の面影はない・・。でも、さっき言ったように個人的には思いいれのある町だし、島と海岸が織り成す南国の光景は地元の誇りです。どんなに廃れようが、みんなに忘れ去られようが、自分はずっと好きなままでおっどーcatface

 さて、本題へ、、、

 青島は江戸時代まで神聖な場所とされていたらしく、入れなかったらしい。島自体が神として崇められてきたのかも。でも、明治に入ってから徐々に地元の人々にとってなじみ深い場所になってきたっぽい。

 とにかく島は海岸に近く、微妙につながっている感じ。見所は、多様な熱帯植物群と間近で見れる「鬼の洗濯板(岩)」、そして広い空と広い海と狭い島で描かれる南国風景

 百聞は一見に如かずというわけで、ここから先は写真に語ってもらいましょ。。。

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 弥生橋を渡ると、島の左側(陸から向かって右側)に鳥居があって、そこをくぐって少し進めばすぐ青島神社がみえてくる。

 今回も神社の由緒には触れませんが、榎原神社同様、伊東氏から崇敬を受けていたことは確かだそうだ。何の情報を得ないまま回ったので、今回は印象だけに。

 本殿はすごく新しい様子だった。再建かな。

 偶然みかけた絵馬にこんなものが、、、

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 多分、去年明石家電視台のメンバーが宮崎に来たときのもの。ここに書いてあるメンバーが宮崎の朝の情報番組(UMKかMRTかは忘れた)に出演してくれて、その模様をyoutubeで見たんだけど、酷かったなw 特に中川家・山田花子のお天気レポートは(ノ∀`)

 それはさて置き、その本殿の奥には植物がうっそうとしている小道が。

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 奥には元宮などの小社があって、写真のように貝殻を投げる場所もあった。

 この空間にはたいした物はないけど、あまり見ない植物が生えてるようだし、辺りが暗くて少し不気味さも放ってた。

 神社を抜け、島を一周してみた。

 大抵の人は参拝したらもう終りって感じで帰るけど、島から見える広大な空と海は是非見てほしいな。

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 島の周りは貝殻の浜のようになってて、たまに大きな貝殻があったりして楽しい。

 そして、この鬼の洗濯板(岩)。

 うーん、いつ見ても心が洗われる・・板だけに┐(´-`)┌

 洗濯板のおかげで釣人もわざわざ沖まで出ずに済むのかなeye いや、この辺りは水深なさそうだしなあ、詳しいことは分かんない。

 まあとにかく、この異様な風景こそ自分らにとっての故郷の絵だし、宮崎人が誇る美観の一つですconfident

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 島の裏側まで進むと、きれいなお姉さん方二人が並んで座って、恋愛話(ここは想像)をしていた。県外からの観光客だろうか、いやらしい、いや微笑ましい光景でした(笑)

 これ行ったのが9月の末だったから、ビロウのはっぱがだいぶ枯れてた。それにしてもビロウっていかにも南国チックだよなあ。そして相変わらず奥には変な植物がいっぱい。

 ぜひ訪れた際は島の裏側まで回って、感傷に浸るか、もしくは夕日を浴びながら恋話をしてみては´ω`)ノ

 輝かしいあの頃と比べたら、観光客の数はうんと減ったし、車も海岸沿いを通らなくなったせいで、ますます寂れた感が出てるけど、景色はまだまだ健在でした。観光客が減った一方で、今ではサーフィンやヨットなど楽しむ来県者がほんと多い。自然と直に触れ合う彼らに聞いてみたい。

 「宮崎の海と太陽はどんげですか?」

 と。

 その答えはきっと。。。

 南国感を期待して宮崎に行かれる方、自然の魅力溢れる青島は絶対外せませんよ(o・ω・)ノ

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わが地元宮崎の紹介①―串間

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 時間がある限り更新しようってことで、先月帰省中に串間に行ったときの紹介を。。。

 串間市内にある「旧吉松家住宅」に行ってきた。

 理由は、卒論でなじみがあるから。

 中でも、長年県会議長(後、代議士)を務めた吉松忠敬は、「日誌」にも度々登場するよう、児玉氏と同派であったらしく、また自分の実家がある南那珂郡の代表者として忠敬は県政に携わったため、個人的には親しみがある人物。

 さて、その忠敬が議長に就いていた大正8年に上棟されたらしいけど、どうも造りが普通の家じゃない(゚ー゚; 部屋もたくさんあんあるし、それぞれが庭に面しているので、どうも旅館のように見えた。

 んで、ネットで調べてみると、どうやら「買収した」という噂も・・。つまり、旅館として別人が建てたが、後にそれを誰かが買い上げ、さらにそれを吉松家が買ったらしい。

 まあ、あくまでも噂だけど、造りからして旅館だったというほうが説明がつくような・・(;・∀・)

 とにかく、吉松氏が住んでいたことは確かだろうから、吉松家住宅としておこう(汗)。

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 写真の図面をみれば分かるように、旧志布志街道に面している。

 肝心の宅内は、シンプルなお庭やレトロな部屋があったりして楽しい。

 

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 これ畳何畳だろ?とにかく広かった。

 土間も残されていて、用具や調度品など(当時のままかどうかは不明)が配置されてた。

 その他には史・資料部屋が設けられていて(※表示がない限り、写真を撮らないのがマナー)、気になったのは忠敬関係の史料。これについては後述します。

 

んで、二階にもあがってみた。

 虫に喰われまくった漢文の冊子(テキスト?)があって、もしかしたらこれを使って勉強したのかななんて想像してた。

 一番気に入った写真はこれ。

 

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 吉松氏が愛用していたと思われる旅行ケーストランク

 忠敬が使っていたかどうかは分からないけど、もし使っていたとしたら、、、県民・市民のために出宮・上京する際はいつも一緒だったのかな・・こいつらはあの時代を知ってるのか・・なんて想像して、一人感慨に浸ってた(*´σー`)

 史料の件だけど、展示されてあるのは日記のようなものや、県会議長としてのスピーチ下書きなど僅か数点。帰り際に職員(串間市)の方にお話を伺ったところ、「吉松家文書」は現在もなお整理中とのことで、不定期で研究者のような方々に依頼するらしい。目録を拝見したところ、どうも材木商関係の文書などが中心で、日記の類はまだまだ整理されていないらしい。そもそも忠敬に限って言えば、不精筆らしい(苦笑)
 まあ確かに誰でも文書が読めるわけじゃないし、読めても理解できなきゃ意味もないから、その辺を市の職員さんにやれっていうのはさすがに酷だわ。もし日記の類が整理さていれば・・なんて思ったけど、それ以前に「児玉伊織日誌」でアップアップだしw

 一応、研究内容をお伝えして、関連史料があれば閲覧させていただけるようお願いして、その場をあとにした。。。

 観光施設にするなら、やっぱり吉松氏・宮崎県政に関して研究が進んでいないとダメなんじゃないかな。大正期の建築物だから訪れるっていう人は、場所が場所だけになかなかいない気がする(※串間は県最南部)。
 「吉松氏は○○な存在で、実は村長や県会員、代議士になったんだよ」、そして「~や…な偉業を達成した偉い人なんだよ」ってアピールすることが大事かと。
 吉松家の場合、建築物よりやっぱり人に魅力があると思う。県会員や代議士ってほとんどとりあげられることはないけど、彼らの県政にかける想いと行動は、今以上に評価されるべきだと思う。

 「表面上役に立つ」ものを重視する時代(いま)の中じゃ、学問においても歴史学の立場はかなり苦しい。お金も人も割いてもらえない。だから串間でも研究は進まない。てか、串間だけじゃなく、宮崎全体、いや全国各地域で人手・人材不足+資金不足の問題が研究を停滞させている。

 歴史って決して役に立たない学問じゃない。

 歴史をやっていると、今と昔って密接に関連してることに気づく。それだけじゃなく、今と未来も密接に関連することも多々ある。

 じゃあその昔、どういった時代の中で、誰がどう動いた結果、何がどのようにして遺されたのか。今それに対して、どう働きかけているのか。

 これを追求することに大きな意味があると思う。歴史学は過去だけじゃなく、現在・未来にまでその範囲は及ぶこともある。見渡して原因を解明・予測できるのは歴史学だけ(※言葉を借りるなら「歴史学は医者、できるのは処方ではなく、原因特定」)。そういった意味でも、きっと「役に立つ」はず。

 このままこんな時代が続くなら、きっと正しい歴史の認識なんて一向に進まず、地方では地元の歴史が解明されないまま、そこに住む人にさえ忘れ去られていくんだろなあ。。。

 いずれにしろ、近い将来、文化よりも目先の利益をとったツケが絶対やってくる

 あ、文化云々より先に「イエ」や「ムラ」の消滅が始まってるっぽい…伝統の消滅って早いんだなあ┐(´д`)┌

 余談がすぎた(汗

 串間に訪れの際は、ぜひ大正時代の雰囲気を味わえる「旧吉松家住宅」へ。

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贅沢な内定者懇親会

 昨日は内定式でした。

 内定証書授与が終り、記念撮影。

 その後、社長を始め幹部の方々と昼食を共にし、午後からは製造現場を見学。

 中小企業だから一人ひとり手渡してもらえたし、話しかけてもらえた。

 そう思うと、人を大切にしてくれる(感じがする)中小企業のほうが改めて自分に合うと思った。


 まあでも、入ってからじゃないと実際のところ分からないし、過度の期待はしてないですが。

 幹部の方々の印象はというと・・

 晴の場だから和やかな表情してるけど、多分仕事になるとすっごい厳しいだろなあって自分は感じた。

 時折見せる仕事の顔と、その顔に刻み込まれたしわの数が物語っている……気がした(笑)

 昼食中、自己紹介があって、みんなそれぞれ抱負を語った。

 うーん緊張した^ ^;

 そして何を言おうか悩んだ。

 結局、「辞めない」ことを宣言するに止めた。

 就職先が決って以降、バイト場や社会人の友達、親戚、親に色々社会人からのアドバイス的なものをちょくちょく聞いてきたけど、あるおじさんの言葉がすごく印象的だったのを覚えてて、「辞めない」を宣言した。

 おじさん曰く、「楽しくて楽な仕事なんかねーどぉ」

 それはみんな言うし、そうなんだろね。

 「最近ん(最近の)わかもん(若者)はすぐ辞むっし、おじさんも現にそういう奴何人も知っちょっかい(知っているから)。みーんなこっち(=宮崎)帰ってきちょっがね(帰ってきてるよね)」

 うん、自分の周りにもそういう奴が結構いる。

 「あっこん(あそこの)人と合わんかったとか、自分がしてぇ仕事と違ったとかよ、そんげなん理由つけちょっけんよ(そういった理由をつけてるけどさ)、結局なんで辞むっかちゅーと、辛抱が足りんとよ。」

 「どこん(どこの)職場行ってんよぉ(行ってもさ)、変な奴はおっし(居るし)、楽しい仕事、したい仕事はできんて(できないんだよ)」

 「じゃかい(だから)、とにかく辛抱やど(だよ)」

 確かに、すぐ辞める理由としてはどれもダメな気がする。じゃあ、そんなつまらん(というか、やりたいやつじゃない)人間や仕事内容に対してどう向き合えばいいんだろ。

 そう思って聞いてたら、おじさんがこう言った。

 「もし変な奴が居ってんよぉ(居ってもね)、最初は辛抱しょかんといかんど(しないといけないよ)。そんで、数年、数十年経って上に上がってそういう奴に並べば、言えることも言えるようになっちゃかい(なるんだから)。それまではやっぱ辛抱やどぉ(だよ)」

 そして、「あんこ、つまらん仕事でも考えようやっちゃが(考えようなんだよ)。つまらんなら、自分で楽しくするしかねっちゃかい(楽しくするしかないんだから)。

 「そんげやって(そうやって)考えらるっ(考えられる)ようになったら続けれるっかい(から)」

 すごい当たり前の言葉かもしれないけど、「仕事は自分で楽しくするしかない」という言葉に一番「ハッ」した。

 ということもあって、「辞めないよう、辛抱強く続けることを目標」として、「そのためには、どんな仕事を任されても、楽しい仕事に変えることができるよう工夫することを心掛けたい」と宣言した。

 こんなこと言っといてすぐ辞めたらどうしよw

 まあ、「心配するな、工夫せよ」の精神で頑張ります(;´Å`)

 見学が終わった後、場所を移して内定者懇親会へ。

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 会場はまさかまさかのマツダスタジアム

 一人興奮しまくり的なのりー

 前もって言ってくれたら応援セット一式持参してきたのに(笑)

 とうわけで、昨日の阪神戦はパーティ席で観戦してきましたcatface

 試合は快勝だったし、飲み食い放題だったしで、大満足な懇親会でしたヽ(´▽`)/

 ただ、試合に集中しすぎて、あまり内定者の女性陣や幹部の方とじっくり話すことができなかったのはもったいない…と思った(汗

 でも、ビップ席(?)で試合観れただけで満足満足♪

 あ、一寸松田オーナーが挨拶に来てくれたらしいけど、全く気づかなかったw

 いろんなところにコネ持ってるだなあ・・(謎)

 まあめでたい日というわけで、今はまだ楽しく過ごしてもいいよね。入ったら厳しい仕事が待ってるんだし。

 というわけで、来春からスタートする社会人生活に向けて、気持ち新たにしながらも、まだまだ学生気分の抜けないあんこでした。

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 ※写真(左から)
 ・①…シートノック前の前田さん
   →相変わらず群れないw

 ・②…イニング間に話す前田さんと緒方
   →出番がなくて退屈そうでした。。。

 まさか観戦するとは思ってなかったから、デジカメなんて持って行ってなかったし、携帯で悪あがきしてみた。そしたらこんな画像に・・○rz

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さようなら建さん

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 29日、高橋建の引退試合に行ってきました。

 序盤に4点取られて、「あー、昔とちっとも変わってないなこの(負け)パターン」と思ってたら、その直後に逆転!

 栗原の打球がラッキーなことにイレギュラーしてくれたおかげで、建さんと同期のに打順が、、、

 そしたらまさかの嶋ムランsign03

 自分が見に行く試合は嶋が活躍する気がする(*´σー`)

 いやーほんといいタイミングで打ってくれた。この試合で一番盛り上がったシーンだったと思う。

 ここからあれよあれよと点が入って、試合もちょっと間延びしてきた。

 とは言いつつ、試合はゆったりと進みながらも、一方で確実に最後の時は近づいていたわけで、球場に駆けつけた人の中には、いっそこのときが来なければ・・なんて思ってた方もいるんじゃないかな、、、
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 ⑧回裏の頭に建さん登場∑(゚∇゚|||)

 てっきり最終回かと思ってたからすごいビックリした。

 建さんコールの中、三球三振(確か全部140㌔代ってゆー。

 カスティーヨの空振り(演技)も面白かったけど、そんなことより、まだやれるんじゃないかと思わせるようなストレートがまだ投げれることに驚いた。

 ここでちょいと高橋建についての回想を。。。

...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...

 高橋建は自分が小っちゃい頃から知っている選手の一人で、当時は華奢だけども球速のある左腕っていうイメージ。確かあの頃(95、6年?)から大野や佐々岡、紀藤、山内らとともに、一軍で投げていたと思う。投球フォームが格好良くて、あんまりパッとしない成績だけども印象が強くて好きだったなあ。

 2000年中盤あたりから、変化球を上手く混ぜ込む投球に変えてて、味のあるベテラン投手に変わってきてた。

 昔は、撃たれ続けるとムキになって、あくまでも速球で押してくる感じだったけど、投球スタイルを変えてからは落ち着きがあったし、粘り強さく投げてたイメージ。そしていつかしか、「高橋建」から「建さん」と呼ばれるように。

 まあ、あくまでもイメージですが^ ^;

 あ、あと忘れちゃいけないのが打撃面flair

 一番印象に残っているのは、確か2008年のゴールデンウィーク中にあった横浜戦で、先制ホームランを打ったあの場面。ちょうどライトスタンドで見てて、「振らにゃー何もー…」で始まる投手専用応援歌を流れ始めて、周りも本気で期待せず「強気ーで いちーかばーちか フールスイーングー」て歌ってたところ、誰も点を入れないから自分で点を獲りにいくってゆーヾ(*゚A`)ノいやー驚いた(笑)

 あ、もう一つ、フィールディングのよさも建さんの特徴。

 さすが大学時代で野手していただけのことはありますなeye

...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。

 さて、話を戻しましょ。

 「涙のK締め」で引退を飾った建さん。

 最終回は嶋と同じく、これまた同期の横山

 意気込みが違ってた。

 早や、ピシャリと三人で締めてくれました。

 万感の想いで臨んだ横山

 前田さんが、浅井や佐々岡の引退試合で打ちまくったように、何ともいえない力が内からみなぎってきて、普段以上の力が発揮されるんだろね。

 果たして前田さんのときは・・?

 もう同期すらいないし、送り出すに相応しい選手は嶋?くらいしかいない。。。

 でも別れの時期は確実に近づいている・・・いやいや考えられんしほんとに(;´Д⊂

 考えただけで涙が出そうだから、考えないことにしよう。

 そういえば、前田さんの出番がなかった

 試合展開から言えば仕方なかったけど、それでもやっぱり自分も出場して建さんの引退を見届けたいっていう思いはあったと思うんだけど。

 謙二郎は真顔でずーっと腕組んでるけど、ベンチで一体何を考えてるんだろ。

 不服。

 まあ言っても仕方ないし、また話を建さんに戻そう。

 現役最後のお立ち台、引退セレモニーは感動的だった。

 中でも印象的だったのは、家族に対する感謝の言葉。

 マウンドでは闘争心というか負けん気の強さを全面に出して投げてた。それが禍となって、痛打をくらうこともしばしばだったけど(苦笑)、やっぱりマウンドを降りるとすごく温和な選手なんだなあと改めて思った。建さんが家族に対して深く感謝する姿や、娘さんが涙する姿を見ていると、建さんの優しさが一番表れていた場所、それは家庭だったのかなあと感じた。人柄の良さがよく表れた場面だった(´;ω;`)

 すごくいい記録を残したわけではないけど、優勝・Aクラスからどんどん離れ、低迷していくカープをずっと支え続けてくれた建さんの貢献度は高いし、ファンは記録よりもその謙虚で温和な人柄にほれ込んでると思うなあ。少なくとも自分はそう。

 16年間おつかれさまでした。

 またカープに戻ってくることを楽しみにしています。

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