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わが地元宮崎の紹介③-1―前置き

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 ようやく卒業旅行の記事を書き終えたところで、お次は3月の上旬に友達2人を宮崎に招待したときの出来事を簡潔に紹介していくことにしよう。

 広島~宮崎間は、基本的に高速バスを使うけど、移動中も話せた方がいいだろうというわけで、今回は日豊線を使うことに。

 小倉まで出た後、ソニックで大分(もしくは別府)まで。そして、大分(別府)から宮崎(もしくは南宮崎)まではにちりん

 写真はソニック。

 にちりんと比べてかっこいいよなあ・・最初見たとき両者の差にびっくりしたし(;´゚д゚`)

 日豊線は個人的に思い入れのある路線です。

 初めて広島に来たとき、日豊線を使った。

 そして、卒論で扱った明治末期から大正期の宮崎県政における一大課題であり、県会内の争点にもなったのは、日豊線。

 宮崎県に最初に鉄道ができたのは大正期。うちはそれまで鉄道は作ってもらえなかった。

 初めて鉄道が通ったのが大正初期。しかも県営。

 国鉄線が市内まで通ったのは確か大正5年で、都城~宮崎線がこれ。

 それから7年後の大正12年にしてようやく日豊線(宮崎~大分)が完成。

 こんな感じで、大正期にようやく鉄道が発達していくわけだけど、実は明治20年代から請願運動は何度も行われていた。

 そう考えると、当時の宮崎人にとって日豊線の全通は、相当感慨深いものだったはず。新聞での記事を見れば一目瞭然。宮崎線の開通でさえお祭り騒ぎだったんだから、況んや日豊線をやです。

 一方で、当時の政財界人が今の日豊線を見てどう思うだろうか…。

 まあとにかく、思い入れの強い日豊線は、明治から大正期においてはまさに「60万県民」(もしくは80万)の希望の光だった。その過去を知っているせいか、大分~宮崎間は様々な物思いにふけりながら海岸沿いの風景を眺めていた。

 さて、宮崎に着いてからいろんな場所を案内したけど、とりあえずは幸島都井岬を「わが地元」シリーズに組み込んで紹介しときましょ。時間があれば、グルメ編の紹介もできるといいな。

 では、宮崎の魅力をたっぷりどうぞ(言うて簡潔版ですが)。

 ※日豊線をめぐる県会内対立については、またいつか卒論の内容(成果)を紹介できる日がくれば解説してみたいな。けど、時間がないと思われ。

 (つづく)

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