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わが地元宮崎の紹介③-3―都井岬

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 幸島から車で30分弱。

 野生の馬(「御崎馬」)が生息する都井岬へ。

 御崎馬が生息するようになったきっかけは、1697年に高鍋藩が軍用馬・農耕馬を飼育するようになってから。

 あまり改良(交配)もされず、自然な状態で管理され続けた

 ちなみに、高鍋藩の当主は秋月氏。

 信長の野望をする人なら知ってるかも、筑前の小大名^ ^

 流れ流れて日向の地にやってきたわけです。

 高鍋藩は、県央が主な領地だったけど、県南にも串間を持っていた。

 話は逸れるけど、卒論でも痛感したと書いた「旧藩意識」について少し。
 実は、明治から大正期の串間における「旧藩意識」も相当根強かった。南那珂郡は、ほぼ飫肥藩に占められていたけど、最南端だけ高鍋藩に属していた。
 大正初期、旧飫肥藩は非政友会色が強くなり、県会議員も非政友で固められるわけだが、その一方で、頑として靡かないのが旧高鍋藩の串間地区。具体的に言えば、福島選出の吉松忠敬。南那珂郡が無所属で出馬・当選する中、ただ一人政友会として出馬・連続当選、議長職(歴代最長)に就いた。

 どうも一つの郡内で一致団結することは困難だったらしい。これは各府県にも通じることかもしれないが、旧高鍋藩は基本的に一貫して政友会所属だったことを考えると、近代になっても自分らが思う以上に「旧藩意識」が色濃く残ってたんだなあって思った。それが小藩分立という近世的要素がそのまま近代宮崎の特徴につながっていく。

 さて、話を戻しまして、、、

 明治に入ってからは「都井御崎牧組合」に払い下げされたらしいけど、ここでも自然管理が継承されたらしい。

 戦後、軍馬はもちろん、機械化によって農耕馬としての使い道もなくなった御崎馬は、一時絶滅の危機を迎えた。

 そこで、昭和40年代後半に官民一体となって保存に尽力した結果、再び100頭前後に数も戻って今に至るとのこと。

 御崎馬の特徴は「限りなく野生に近い状態で」守られてきたところでしょう。

 在来種の一つとして今も行き続ける所以はここにあった。

 都井岬のゲートをくぐるとあちこちに御崎馬が(・oノ)ノ

 小柄でかわいいwink

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 ここは県内最南端。

 太平洋の広さを感じます。

 もっと感じたい人はぜひ灯台へ。

 もう日没も迫っていたので、今回は断念し、急ぎ御崎神社へ。

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 御崎神社

 創立は708年(和銅元)、中世では島津氏の信仰も篤く、在地の人々からは航海安全の神として信仰されてきた。

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 写真中央に本殿が。

 断崖に設けられていたけど、本殿付近に白い階段が見えたから、とりあえず近くまで行ってみた。

 本殿の麓まで行くと、立ち入り禁止の表示と柵があったが、せっかくなので無視(笑)

 危険を承知で植物(というかソテツ)が生い茂る道を前進。

 小高い石垣も手を汚しながらよじ登って前進。

 強引に進み、終に階段まで到着。

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 友達と交互に登ってみた。

 本殿からの景色がこちら。

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 正直、高くて怖かったけど、せっかく来たからにはここまでしないとね(・∀・)

 ソテツの生えっぷりが半端ないです。

 進んでみてようやく立ち入り禁止の理由が分かった。

 本殿が断崖絶壁の中腹にあることや階段が急で危ないことは見て分かるけど、これが一番危ないかも・・。

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 落石。

 本殿下にある地蔵たちを覆うトタン屋根が何ヶ所も凹んでた。

 軽い気持ちで登ったけど、無事でよかった・・。

 肝心の御崎馬の印象を書いてなかった(汗

 御崎馬はいろんな所で見れます。

 道路や丘の上、傾斜がきつい崖にもいて、草を探し食べてた。

 人間が近づいても物怖じせず、マイペースに草を食べてた。

 断崖絶壁に馬のフンがあったのを見つけたときはほんとびっくりした(・ω・ノ)ノ

 すぐ側が海だというのに…こんな所にまでえさを求めてやってくるとは・・

 人口的な交配もされず、自然に近い状態で放牧された御崎馬。

 この先もずっと野生の御崎馬でいて欲しいな。

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