カテゴリー「旅行・地域」の記事

写真で振り返る2012年⑤―冬

0261
 冬の調査は危険もあるけど、雪を見ることができて楽しかった。

 中国山地沿いは雪がたくさん降る。

 雪国の方々の厳しい暮らしに思いをはせながら、自分はあったかい車内でコーヒーを飲みながら勉強 (゚ー゚; 

 写真は朝倉PA。

 地図はこちら

0255 0256_2

 しんしんと降り続ける雪。

 青空に映える白化粧した山々。

 南国出身の自分には、新鮮で、どこか心落ち着く光景。

 ※左は吉和SA(下り)、山口IC前。

121224_113827
 12/24のクリマスイブにもかかわらず調査。

 小郡から峠に差し掛かると、一面真っ白。

 山口線沿いに走らせ、長門峡越えたあたりで左折した。

 そこから生雲を通過したときに、撮った記憶がある。

 がんがん降る中、必死に交通安全を願い立つ地蔵たち。

 無事スタッドレスだけで行けたのも、地蔵さま方のおかげかも。

 地図はこちら

121224_135405_ed_2
 むつみ温泉、うりの坊を通り、片俣小国という集落へ。

 新雪の中をおそるおそる走らせて、到着。

 長くつを新調していてよかった。

 もみの木のような木が、たっぷり雪化粧。

 こんなクリスマス初めてだったけど、異世界での運転は楽しく、幸福なひと時だったなあ。

 帰り、鹿野に出るまでの下道は死ぬ思いでしたが・・

 地図はこちら

 この体験がやみつきになり、今じゃ毎日交通情報をチェックする始末。

 ネクスコ西日本の高速ライブ。

 ひろしま、島根、山口の道路ナビ、道路カメラ。

 見るだけで幸せな気持ちになれる。

 いつか車買うことができたら、絶対、雪三昧してやろうと野望を叶えるぞ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

わが地元宮崎の紹介④―食事編

 最後に、宮崎旅行で友達に案内したお店と料理の紹介を|∀・)

 まずは初日の昼。

 初日は志布志にあるかつひろへ。

0403_2 0404

 父親が志布志港で勤務していたこともあって、かつひろには小学生の頃にたまに行ってた。

 店員の元気良い「いらっしゃいませ」が心地いい。相変わらずだなあhappy01

 ボリューム満点で、お肉も柔らかくって最高です♪

 とんかつと言えばかつひろでしょ!

 次は、夜。

 日南は油津にあるびびんやに招待。

0462
 とにかくここに来たら魚料理を食べにゃ!

 はっきり言ってマグロ頼まにゃ邪道です。

 というわけで、自分はねぎトロ丼を注文。

 友達は、一人はマグロのカマを。もう一人は忘れたw

 あと、みんなで地鶏(塩)を注文。

 こんな感じ↓↓

0463 0468 0467

 どれもおいしくって好評でしたv

 2日目の昼は、高校時代によく行ってたカレー屋さん。

0480
 パパのカレー屋さん。

 宮崎交通(宮交)のバス停表札がかわいい。

 市内に買い物来たときはよく行ってた。

 当時は日南~宮崎間を1000円(「汽車」:片道で1000円ちょい)で往復できる宮交のホリデーパスを使って市内に行ってた。

 お金がない当時の自分らからしたら、お昼のカレーも相当なご馳走だったなあ。

0479
 焼きカレー

 とろけたチーズとカレーってほんとよく合う♪

 そして程よい辛さ。

 カレーに付いてくる新鮮な牛乳もぜひ堪能あれ。

 2日目の夜は、郷土料理の代表格チキン南蛮。

 チキン南蛮といえば、当然おぐら(本店)でしょ!

0518
 いつ行ってもお客さんが絶えませんな^^;

 そしてボリュームが半端ない・・。

 でも、やっぱりおぐらのチキン南蛮が一番おいしいと思うな。

 独特の味がするタルタルソースと柔らかくてジューシーでおっきいモモ肉。

 宮崎来てチキン南蛮食べるなら、市内ならおぐらで決定でしょ。

 日南なら飫肥にある喫茶店(名前忘れた)もいいけどね。

 宮崎に来たら、地鶏とチキン南蛮が思い浮かぶかもだけど、魚料理も忘れちゃいけませんぜeye

 以上、食事編でした。

                                   (宮崎旅行おわり)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

わが地元宮崎の紹介③-3―都井岬

0425
 幸島から車で30分弱。

 野生の馬(「御崎馬」)が生息する都井岬へ。

 御崎馬が生息するようになったきっかけは、1697年に高鍋藩が軍用馬・農耕馬を飼育するようになってから。

 あまり改良(交配)もされず、自然な状態で管理され続けた

 ちなみに、高鍋藩の当主は秋月氏。

 信長の野望をする人なら知ってるかも、筑前の小大名^ ^

 流れ流れて日向の地にやってきたわけです。

 高鍋藩は、県央が主な領地だったけど、県南にも串間を持っていた。

 話は逸れるけど、卒論でも痛感したと書いた「旧藩意識」について少し。
 実は、明治から大正期の串間における「旧藩意識」も相当根強かった。南那珂郡は、ほぼ飫肥藩に占められていたけど、最南端だけ高鍋藩に属していた。
 大正初期、旧飫肥藩は非政友会色が強くなり、県会議員も非政友で固められるわけだが、その一方で、頑として靡かないのが旧高鍋藩の串間地区。具体的に言えば、福島選出の吉松忠敬。南那珂郡が無所属で出馬・当選する中、ただ一人政友会として出馬・連続当選、議長職(歴代最長)に就いた。

 どうも一つの郡内で一致団結することは困難だったらしい。これは各府県にも通じることかもしれないが、旧高鍋藩は基本的に一貫して政友会所属だったことを考えると、近代になっても自分らが思う以上に「旧藩意識」が色濃く残ってたんだなあって思った。それが小藩分立という近世的要素がそのまま近代宮崎の特徴につながっていく。

 さて、話を戻しまして、、、

 明治に入ってからは「都井御崎牧組合」に払い下げされたらしいけど、ここでも自然管理が継承されたらしい。

 戦後、軍馬はもちろん、機械化によって農耕馬としての使い道もなくなった御崎馬は、一時絶滅の危機を迎えた。

 そこで、昭和40年代後半に官民一体となって保存に尽力した結果、再び100頭前後に数も戻って今に至るとのこと。

 御崎馬の特徴は「限りなく野生に近い状態で」守られてきたところでしょう。

 在来種の一つとして今も行き続ける所以はここにあった。

 都井岬のゲートをくぐるとあちこちに御崎馬が(・oノ)ノ

 小柄でかわいいwink

0437 0432_2

 ここは県内最南端。

 太平洋の広さを感じます。

 もっと感じたい人はぜひ灯台へ。

 もう日没も迫っていたので、今回は断念し、急ぎ御崎神社へ。

0446_2  
 御崎神社

 創立は708年(和銅元)、中世では島津氏の信仰も篤く、在地の人々からは航海安全の神として信仰されてきた。

0445
 写真中央に本殿が。

 断崖に設けられていたけど、本殿付近に白い階段が見えたから、とりあえず近くまで行ってみた。

 本殿の麓まで行くと、立ち入り禁止の表示と柵があったが、せっかくなので無視(笑)

 危険を承知で植物(というかソテツ)が生い茂る道を前進。

 小高い石垣も手を汚しながらよじ登って前進。

 強引に進み、終に階段まで到着。

0447_2
 友達と交互に登ってみた。

 本殿からの景色がこちら。

0449 0451






 正直、高くて怖かったけど、せっかく来たからにはここまでしないとね(・∀・)

 ソテツの生えっぷりが半端ないです。

 進んでみてようやく立ち入り禁止の理由が分かった。

 本殿が断崖絶壁の中腹にあることや階段が急で危ないことは見て分かるけど、これが一番危ないかも・・。

0452
 落石。

 本殿下にある地蔵たちを覆うトタン屋根が何ヶ所も凹んでた。

 軽い気持ちで登ったけど、無事でよかった・・。

 肝心の御崎馬の印象を書いてなかった(汗

 御崎馬はいろんな所で見れます。

 道路や丘の上、傾斜がきつい崖にもいて、草を探し食べてた。

 人間が近づいても物怖じせず、マイペースに草を食べてた。

 断崖絶壁に馬のフンがあったのを見つけたときはほんとびっくりした(・ω・ノ)ノ

 すぐ側が海だというのに…こんな所にまでえさを求めてやってくるとは・・

 人口的な交配もされず、自然に近い状態で放牧された御崎馬。

 この先もずっと野生の御崎馬でいて欲しいな。

0454

| | コメント (0) | トラックバック (0)

わが地元宮崎の紹介③-2―幸島

0415
 ブログ内でまだ触れていなかったスポットだけを紹介していこうpaper

 日南から車を飛ばすこと約1時間。

 野生のサルが巣くう島、幸島へ。

 幸島は県内でも有名な島で、ここに住むサルたちが芋を海水で洗って食べる様子はよくニュースになってた。

 あと有名なのは、京大の研究所があることか。

 ただ、いつからこの島に住み着いたのかは不明らしい。

 岸から島までの距離は短く、水深も浅そうだったeye

 陸続きになっていた(?)島に、サルが自然に移動し出したのか、それとも人が島に持ち込んだのかな・・。

 いきさつが分からないけど、とにかく野生のサル集団を見たくて、着いてすぐ幸島行きの船を探してみた。

0410
 対岸に小船が繋いであったから、そこへ向かってみた。

 が、誰も来ないってゆー…。

 強風に吹かれ待つこと20分

 ようやく向こうから小柄なじいさんが近づいてきた。

 こっちに向かってきたじいさんは自分らに目もくれず、船を出す準備をし出した。

 「?」

 仕方ないからこちらから乗りたい旨を伝えると、一言二言つぶやいた後に「今日は風がつぇして(強くて)見れんかもしれんよ」って言われた。

 なるほど、じいさんは強風だから船を出しても取り越し苦労になるかもしれないって心配してくれたわけだ。

 じいさん、こちらの友達はわざわざ広島から来てもらったんだ。こっちは見れなくても構わないよ、気遣いありがとう^^

 と心の中で礼を言いながら、頼むことにした。

 するとじいさんが綱を解き出した。

 …待つこと10分

 (あれ、なんでこんげも時間掛かかっと?)

 気遣ってくれたわけだけど、このじいさんどうも怪しい・・。

 やっと出発した船は、島の裏側へ。

 いつもなら船が近づくとすぐに上から降りてくるんだけど、あまりの強風と寒さにサルも島内に引っ込んでしまったらしい。

 じいさんの忠告通り、結局サルは現れず…〇rz

 案内する自分としても残念でした。

 まあでも仕方ない、運賃はしっかり払って引き返そうとしたとき、じいさんに「すぐ近くに釣り人を待たせちょっかぃ、拾って帰ってもいいか?」と言われた。

 さらに、「拾って行ってん(も)今回は金は1000円でいいかぃ(ら)」と付け足された。

 なるほど、じいさんは釣り人を迎えに行く用もあるし、サルを見せることもできなかったから、せめてつかの間のクルージングと料金割引をサービスしてあげるよと言ってくれたわけか。

 じいさん!なんていいやつなんだヽ(τωヽ)ノ

 サルを見せれなかった代わりに、宮崎人の情深さを垣間見せることができて自分も救われた。

 早速釣り人を迎えに出発。

0417
 よう強風の中釣りするなあと思い、彼らに近づいていく。

 が、この集団をまさかのスルー。

 「え…」

 嫌な予感がしてきた。

 船は彼らを無視してどんどん進んでいく。

0418 0420  

 次々に現れる釣り人を無視してさらに遠くへ進んでいく…。

 「近く」って言ったくせに、気づけば片道25も経ってた。

 どこが近いんだよ。

 強風+寒さ+水しぶき(塩)が防寒もしてない自分らの体力をどんどん奪っていく…。

 やっと目的の釣り場に着いたときには、幸島はもう見えなくなってた(笑)

 じじい…(#^ω^)

 釣り人と微妙な会話をしながら船着場に戻った。

 あまりの寒さに全員閉口。

 まさか約1時間も道連れにされるとは思っても見なかったし。

 まあ、じじいはじじいなりに船に乗る機会はあまりないから…と配慮してくれたんだろう。

 これで3000円(※一人1000円)が1000円に値下げされるんなら、まあよしとしようや。

 いざ降りるってなったとき、じじいから「はい、一人1000円ね。お釣りは出らんよ」だって。

 ダマシタナ、くそじじいヽ( `皿´ )ノ

 さすがにもう怒る気力もなかった。

 呆気にとられながら支払ったあと、くそじじいが一言。

 「(何しに船に乗ったのかって)さっき乗せた釣り人たちに聞かれたら、釣りしに来たって言っちょけばいいが(言っておけばいいよ)」って言われた。

 意味が分からんw

 竿やらクーラーボックスも持ってないし、だいたい服装が釣りに行く格好じゃないっつーの(゚Д゚)

 こいつは、自分らが幸島に行く行かん関係なく、遠くにいる釣り人を迎えに行く必要があった。

 んで、船着場に行ったらたまたま若者3人がいて、幸島に行くって言ってきたから、まあついでというわけでとりあえず乗せた。が、幸島の裏に回った後、3人を岸に戻すために船をいったん着けるのはよだきいから、「近く」・「1000円でいい」って言ってごまかしてそのまま釣り人を迎えに行った。
 最後の発言は、3人が釣り人に「幸島に行った」って言うと、自分が距離も寒さも無視して強引に連れ回したって思われるから、ごまかしてもらうために「釣りしに来た」て言わせようとしたわけか。

 あー・・だから船着場にすぐ現れなかったのか。

 なんという自己中…。

 ほんとくそじじいだわ。

 サルは見れんわ、体力は削られるわ、だまされるわで、すごく疲れた。

 それ以上に、同じ宮崎人としててげ(すごく)恥ずかしい思いをした最悪の1日だった。

 幸島に行くことがある方は、くれぐれもくそじじいの発言に惑わされないように。。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

わが地元宮崎の紹介③-1―前置き

0385
 ようやく卒業旅行の記事を書き終えたところで、お次は3月の上旬に友達2人を宮崎に招待したときの出来事を簡潔に紹介していくことにしよう。

 広島~宮崎間は、基本的に高速バスを使うけど、移動中も話せた方がいいだろうというわけで、今回は日豊線を使うことに。

 小倉まで出た後、ソニックで大分(もしくは別府)まで。そして、大分(別府)から宮崎(もしくは南宮崎)まではにちりん

 写真はソニック。

 にちりんと比べてかっこいいよなあ・・最初見たとき両者の差にびっくりしたし(;´゚д゚`)

 日豊線は個人的に思い入れのある路線です。

 初めて広島に来たとき、日豊線を使った。

 そして、卒論で扱った明治末期から大正期の宮崎県政における一大課題であり、県会内の争点にもなったのは、日豊線。

 宮崎県に最初に鉄道ができたのは大正期。うちはそれまで鉄道は作ってもらえなかった。

 初めて鉄道が通ったのが大正初期。しかも県営。

 国鉄線が市内まで通ったのは確か大正5年で、都城~宮崎線がこれ。

 それから7年後の大正12年にしてようやく日豊線(宮崎~大分)が完成。

 こんな感じで、大正期にようやく鉄道が発達していくわけだけど、実は明治20年代から請願運動は何度も行われていた。

 そう考えると、当時の宮崎人にとって日豊線の全通は、相当感慨深いものだったはず。新聞での記事を見れば一目瞭然。宮崎線の開通でさえお祭り騒ぎだったんだから、況んや日豊線をやです。

 一方で、当時の政財界人が今の日豊線を見てどう思うだろうか…。

 まあとにかく、思い入れの強い日豊線は、明治から大正期においてはまさに「60万県民」(もしくは80万)の希望の光だった。その過去を知っているせいか、大分~宮崎間は様々な物思いにふけりながら海岸沿いの風景を眺めていた。

 さて、宮崎に着いてからいろんな場所を案内したけど、とりあえずは幸島都井岬を「わが地元」シリーズに組み込んで紹介しときましょ。時間があれば、グルメ編の紹介もできるといいな。

 では、宮崎の魅力をたっぷりどうぞ(言うて簡潔版ですが)。

 ※日豊線をめぐる県会内対立については、またいつか卒論の内容(成果)を紹介できる日がくれば解説してみたいな。けど、時間がないと思われ。

 (つづく)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

卒業旅行⑤―臼杵・杵築

0349
 時間がない…さらに簡易に書き残すことにします(汗

 2日目の夜は大分の亀の井ホテルへ。

 そして、最終日の3日目は大分観光。

 時間がなかったから、今回は臼杵と杵築の2ヶ所にすることにeye

 まずは臼杵

 国宝石仏(磨崖仏)を見学。

 この石仏は、この地に住んでいたあるお金持ちが、自分の愛娘が亡くなった際に中国から職人を呼んで作らせたという説明(伝承)があった。

 まあその真偽はともかくとしても、時代は平安から鎌倉にかけて作られたもので間違いないらしい。

 なんで臼杵(大分東沿岸部)にこれほど多くの石仏が残されたのか。

 すごく興味深いなあと思いながら、一通り見学してみた。

0299_2 0302_3

0304 0315

 よくこんなん彫ったなあ。

 写真を見れば分かるように、磨崖仏とは岩に直接掘り込んだ石仏のことをいう。

 この辺り(高千穂も)の地質(?)は、阿蘇山に噴火によって出来上がったものだとはよく聞くけど、この凝灰岩が軟く彫刻しやすいとは知らなかった。

 中には彩色されてある(のが残っている)ものも。

 今の臼杵深田の光景から考えると、誰が、何のために、なぜこのような場所で、どうやって作ったのか(あるいは作らせた)。

 文献史料も何も残っていないらしく、未だに謎は謎のまま。。。

 ちなみに、臼杵は友達の一人が希望したわけだけど、個人的には国東半島特有の石灯籠が見たかったってゆー。

0297
 普通の灯篭と違って、丸っこい所が特徴的。

 かわいいのぅ(´∀`*)

 さて、最後は九州小京都の一つ、杵築へ。

 着いてすぐに昼食をとりに町をぷらぷら。

0338 0339

0341 0343






 ご当地バーガーマニアの自分(ら)は、笑飯(わらべ)というお店で杵築サンドに挑戦してみた。

 ご主人が丁寧に作ってくれたバーガー(サンド)は、鶏肉がやわらかくってジューシーでおいしかったbb

 鶏肉にタルタルソース。

 要するにチキン南蛮バーガーですね。

 店内も趣があっていいけど、店先のイスがかわいらしくて(・∀・)イイ!!

 そして、店員さんが全員めがねだった所もよかった(笑)

 腹ごしらえした後は、城下町をぷらぷら。。。

0331_2 0334 0350 0359

 

 杵築の由来は、大友家臣の木付氏によるらしい。

 今回はあまり看板も見てないので、詳しいことは分かりません><

 とにかく、江戸時代には「杵築」という地名に変更され、やがて国東半島の政治・経済の中心地として栄えたらしい。

 そういえば、大学の授業(集中講義:近世史)で、香川の金比羅の話と一緒に、杵築芝居についても盛んだったって言ってた気がする。

 今回は時間の都合上、歌舞伎関連は無視・・。

 この城下町が珍しいのは、町が坂を登った区画(南北)に武家屋敷が広がり、両坂の谷間に商家が店を構えていたという、凸凹した城下町だという点。

 坂と谷間で作られた城下町だから、サンドイッチ型なんて言われているらしい。

 杵築サンドのサンドも実はここからきているっぽいeye

 派手さは無いけど、南北に渡って城下町の名残を色濃く残していた。

 個人的には、丸瓦の写真の収集が進んで満足♪

 ただ、今回もまた改修に遭遇するという不運に・・

 (一体何度目だよ…どうしてこんなについてないのかしら)

 復元とはいえ、杵築城は見れず。

 少しガッカリしながら帰ろうとしていたら、たまたま道外れにひっそりと店を構えていた陶器屋さんを発見。

0371 0370

 

 店内というか家の中は狭いながらも、2部屋に渡って陶器を展示していた。

 少し高かったけど、悩んだ挙句、花瓶をげっと!(写真はまた後日)

 買ってくれたお礼にと、ここのご主人が挽きたてコーヒーをご馳走してくれた。

 本棚を見ていると、さまざまな本がずらり。

 伺ってみたところ、どうやらこのお店、ご主人の趣味の延長らしい。

 部屋を見渡す限り、陶器以外にもコーヒーや楽器・レコード収集などの趣味もあるっぽい。

 趣味で作った陶器にお金を払う、評価してくれたことにすごく喜んでくれたらしい。

 でも、ご主人さんは照れ屋さんなのか、話すのは奥さんばかり(笑)

 言葉で語らずとも、うれしそうでシャイなご主人の姿に心を和まされましたv

 夕方に杵築を出て、途中博多を経由して帰宅。

 夜遅くに無事西条着。  

゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。゜。°。°。°。°。°。°。°。

 さて、最後は駆け足で紹介してきた卒業旅行の紹介もこれでおわり。

 もし、熊本や大分、そして宮崎に興味を持った方々がたまたまこのブログに出会って、少しでもいいイメージを膨らましていただければ幸いです。

 特に宮崎に来てくれたらうれしいな(*´σー`)

 これまでずっと一緒だった仲間と3日間すごせてほんと楽しかった。

 マニアックすぎだとか、じじばば臭いなどの不満もあったとは思うけど(苦笑)、なんとか全員揃って旅行できたので悔いはないかな。

 この先、きっと5人全員が揃うことはほとんどないと思う。

 そう考えると、この旅行が終わりに近づくにつれて、すごく寂しくなった。

 だってほんっといつも一緒だったもんなあ…。

 大学生活が楽しいものだったって思えるのも友達がいたから。

 本当にありがとう。

 自分たち5人の記憶はここに残しておきます。

                                         (おわり)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

卒業旅行④―神話の国、ひむか(追記)

 高千穂を回ってみて思ったことを、追記という形で一応残しておく。 

 今回、3つ神社を参拝してこう思わずにはいられなかった。

 「無常」

 神話神話といわれるけど、天岩戸やくしふる、高千穂、二上の各神社はやっぱり自然を信仰の対象とするような在地信仰によって現在まで生き残ってきた。

 いま(現代)では、人と神(自然)との関係は当然ながら、人と人・地域との関わりまで希薄化している。

 言わば科学が神様な現代において、神との関係を取り戻そうなんてことは誰も思わないし、さすがに自分もその必要はないとは思う。

 ただ、人や地域との関わりまで捨ててしまったら、この先歴史が残るだろうか。

 きっとあと数十年もすれば、近代日本も本当の意味で終わりを告げるんだろう。

 なぜなら、守る者だけでなく、それを作っていく者もいなくなるから。

 歴史が一番大事だとは言わないまでも、先人が残した歴史的文化をどう受け継いでいくのかという問題はもっと重視されるべきだ、と学生時代から常々思ってきた。

 大学でも、理系が最重視され、文学なんてものはすさまじく軽視されているのが現状。

 そういえば、学位記授与のときも大学長が理系的な観点からしか語ってなかったっけ。

 目に見えるものがそんなに大事か。

 すぐ役に立つものがそんなに大事か。

 そうかなー。

 そうじゃないと思うんだけどなあ。

 まあ、ここでどう書こうが何にも変わらないし、たとえ歴史に携わっている人が動いたところで時代の流れには勝てない。

 そう、仕方ない。

 脱線気味だ、、、

 高千穂を訪れてみて思ったことは、長々書いてきたように、地域に住む人々の遺産が消え始めようとしていること。それはもはや食い止めようがない、そういう時代なんだと改めて感じたこと。

 もう一度。

 高千穂の在地信仰は、基本的に自然を崇拝してきた。

 現代に生きる自分らにとって不思議、理解できない点。

 だけども、信仰はせずとも敬う態度は敬服に値する。

 自分は、自然と人間はこの先もずっと共生できるわけがないと思ってる。

 けど、高千穂のような在地信仰に触れると、共生もムリではないと思いたくなる。

 先人が残した遺産。

 それは、目に見えるもの、見えないもの。

 いま、その両方が消えようとしている。

 それらが消えたときには、地域も消えている。

 地域が消えたときには、日本も・・。

 朝早いのに、くだらない文章書いてる場合じゃないし〇rz

 ※文化=歴史的な意味合いで使用

 (高千穂編 おわり)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

卒業旅行④―神話の国、ひむか(高千穂その2)

0238

 古来から同地方の中心的神社であった、高千穂神社

 時間がないため、駆け足で見学。。。

  0213_2 0191_3 0206_4 0209_2  

 

 左から順に、本殿(重文)、秩父杉鬼八退治の彫刻神楽殿

 本殿内にある狛犬(重文)撮るの忘れてた…〇rz

 確かこの季節は夜に神楽をやってるから、もし夜にも訪れる機会があれば神楽を見て帰るといいかもeye

 卒論で長い付き合いをしてきた児玉伊織だけども、彼は本当に律儀な人物です。

 南那珂(南郷町)で榎原神社に立寄ってきたように、西臼杵(三田井)への出張の際には必ずと言っていいほど高千穂神社を参拝している

 そんな児玉の動向を追っかけてきた自分がいま参拝していることを思うと、なんだか不思議な気持ちがするなあ。

 というわけで、個人的にもここは外せない神社でした。

 さてさて、駆け足で紹介していきましょう(汗

 次に向かった先は、県外観光客にとっては一番のメイン、高千穂峡sign03

0216 0225 0224

 
 幾山河、

 越えさりゆかば

 寂しさの

 はてなむ国ぞ

 けふも旅ゆく

 (若山牧水)

 故郷の偉人、牧水がそう詠むように、本当に深い山谷が幾重にも連なっている。

 ※牧水が果たして高千穂で詠んだのかどうか僕は知らないし、正直、牧水の歌も多くは知らない。けど、自然豊かな情景であれば、どこでもよく合うと思う。ついでに、小言を一つ。宮崎のような自然豊かな地方を馬鹿にした1000円札さんよりは、故郷を愛する人間のほうがよっぽど好きだ。

 岩が変な形をしている。

0223

 こちらは、真名井の滝

 いやーすごい迫力Σ( ゚Д゚)

 とりあえず遠くから眺めてみた。

 冬だからボートは遠慮しようと思ってたけど、せっかくだからというわけで乗ってみることに。。。

0259_202640252

 ボート漕ぎが予想以上に難しくて大苦戦…〇rz

 一緒に乗ってた友達、申し訳ないsweat01

 へたくそなりにも、一応滝に接近できた。

 やっぱり間近で見るとすごい迫力だわ(゚Д゚;

 でも夏のほうがいいね、寒い・・

 んで、横転しそうで怖いわ(苦笑)

 一通り楽しんだ一行は、いよいよ本日最後のスポット、二上神社へ。。。

 さすがにここまでとは思ってなかった…。

 待っていたのは、黒川~高千穂間よりもっと険しくてくねくねした細っい山道。

 もはや完全な登山道

 こんな場所によう作ったわ、ほんと・・。

 途中迷い、途中苦闘しながら約1時間、なんとか辿り着いた。

0266

 二上神社

 元々は二上山をご神体として祭っていたが、平安初期に宮を設けることに。

 ここで問題となったのが、東(高千穂側)と西(五ヶ瀬側)のどちらに設置すべきか

 結局折り合いがつかず、双方が競うような形で社殿を建立したらしい。

 中世にも度々衝突があったらしく、結局双方が統合することはなかった。

 東宮が今回参拝した二上社で、西宮が三ヶ所神社に当たる。

 当時の村と村というものが、自分らが想像する以上に一筋縄じゃいかない集合体だったことを示しているように思える。

 これは近代でも同じで、明治以降、選挙などのような人為的競争において、やはり旧藩意識や旧「ムラ」意識というものが全面に押し出されていた

 宮崎における旧藩意識の強さ、それが非常に強い拘束力を持っていたことは、実際に卒論に取り組んだからよく分かる。

 (…とはいえ、維新世代から新たな世代へと変化していく近代においては、さすがに旧藩意識だけでは説明できないケースもあり、旧藩意識による影響といった視点にも限界や問題点は残ると個人的には思っているが…)

 脱線しすぎた。

 とにかく、二上・三ヶ所の二社は、このような複雑な歴史背景を持っていた。

0289 00300

 ※右は友達からの写真提供

 鳥居をくぐった先には、相当急な階段が(汗

 みんなで誰が一番早く登れるか競争してみた。

 結果は……

 私がトップでしたhappy02

 が、あまりのきつさに5分くらい中腰状態……

 さすがに歳なのかな〇rz

0284_2 0288

 左は本殿で、898年建立(1814年に再建)。

 右は、階段付近にある稲荷神社(今回、奥には進めず)。

 稲荷社の鳥居の老築化も酷いけど、石灯籠の方により注意が必要だと感じた。

 苔生して刻印が見えないものは他でも見かけるが、根元から傾いていて今にも路肩に転げ落ちそうな灯篭がいくつか見られた。

 この先荒廃していくのではないかという危惧がどうもぬぐえない…。

 ただ、本殿の記帳を見ると、1日に1人以上は参拝した方がいて安心した。

 もちろん、地元の村民が多かったけど、所々他県(主に九州)からの参拝者もいて、興味本位でもいいから参拝して下さることに感謝の気持ちでいっぱいになった。

 そんな気持ちで二上神社を後にしたのが、17時すぎ。

 辺りはすっかり真っ暗になってて、大分は別府へ急行。

 大分に入ると同時に、自分の役目(宮崎案内)も終了。

 事故なく案内できてまずは一安心。

 途中で夕食をとって、亀の井ホテルへ。。。

 (つづく)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

卒業旅行③―神話の国、ひむか(高千穂その1)

0140
 ―― 長文防止+早急更新のため、なるだけ簡潔にいきます(汗 ――

 豪華な朝食を終えて、黒川(熊本)から地元宮崎は高千穂へ。

 自分自身、高千穂はもう十数年ぶりで、かなり険しい山間部だったよなあ程度の記憶しかなかった。

 今回は高森峠や阿蘇望橋経由ではなく、カーナビの指示(=最短距離)で高千穂を目指してみた。

 もちろん、運転は県民の私^^

 走ること1時間。

 いやー完全に進むべきルートを間違えた〇rz

 距離的に最短なのかもしれんけど、そこには半端ない山道と農道が・・。

 高千穂に着くまでの残り約2時間、基本的にずーっとこれですよ(´ヘ`;)

 とはいえ、そこは県民として不平を言うわけにもいかず、計3時間かけてやっとこさ高千穂に到着…(;´ρ`)

0104 0106 0108

 まずは天岩戸神社

 着いたのが昼前だったため、今回は西本宮と天安河原を参拝した。

 テッペンが苔むしたかわいい灯篭を発見♪

 さて、メインはこの天岩戸神社の神域(本宮のある岩戸川周辺)から少し外れた所にある天安河原。

 ここは、言わずと知れた「岩戸隠れ」の際、八百万の神が集ったとされる場所

0129_2 0135_2 0139_2 0148


 ※ぜひ写真をクリックして拡大を!

 見ての通り、到る所に積み石が(゚A゚;)

 岩戸隠れの舞台って言い伝えられているけど、天岩戸神社自体は元々在地の拠り所だったらしいし、正直な話、近世あたりから神話にあやかってきただけじゃないかと疑ってた(そんなこと言い出したら全国各地キリがありませんが^^;)。

 でも、実際にみたら…

 神話に所縁があるんじゃないかと思わせてくれるような神秘さがここにはあった。

 たとえ在地信仰でも、この異空間にはただただ圧倒される。

 県内でも非常に山の険しい地域、西臼杵郡で生きた人々。

 信心深い名もなき人々が積み重ねてきた歴史の重みや深さにも圧倒されてしまった・・。

 何とも言い表せない光景でした。

 時間がない一行は、軽めの昼食を。。。

0152
 高千穂ドッグsign01

 ご当地バーガーを食べ初めて早や3年。

 宮崎でもご当地バーガー(?)に遭遇^^

 てげうめかったどーbb

 さて、つかの間の休息を終えて向かった先は、くしふる神社

 その前に、ちょいと寄り道。

0153_3 0157

 ちょっとした歴女みたい。いや、稲女か(笑)

 もう一方は、他称稲荷マニア。

 服は、まさに稲荷仕様('・c_,・` )

0165_3 0169_5 0176_3 0184  

 くしふる神社の社殿は元禄年間のもの。

 その理由は、元々社殿はなく、くしふる山自体が信仰の対象であったからと説明があった。

 とはいえ、創建年代は不詳ってゆー。

 実は、天孫降臨の地ではないかという説も。

 その真偽はさておき、、、

 静かに佇む無彩色の社殿たちが、元来の神体(山)と非常にマッチしている。

 古来から三田井に住む人々の拠り所だったんだろなあ。

 遥拝所や井戸を横目に、次へと急ぐ一行。。。

 (つづく)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

卒業旅行②―南城苑

0054
 17:30ごろに到着。

 「南城苑」に宿泊。

 なぜ黒川の中でもここにしたかというと、こじんまりした雰囲気に魅かれたから。

 到着するや否や、丁重なおもてなしを受けたv

 足つぼマットが敷かれた廊下を進み、玄関正面の「うづき」の間へ。

 夕食まで1時間あったから、とりあえずお風呂に行ってみた。

 家族以外の客には、日替わりで露天風呂が提供されてて、この日の夜の男湯は「星の湯」だった。

 外の景色を楽しめるような露天ではない点は残念でした。

 が、お湯が張ってある(浴槽)周辺の木々や岩肌には所々こだわりが見えて、内部の景観には和まされた。

 翌朝に入った「月の湯」と同じように、中から見える景色で勝負できない分、内装で魅せてくれました。その内装と合わせて、星や月を見ることができれば、これらの露天風呂の魅力が最大限に発揮されそうeye

 他には、顔湯っていう変わったものもあっておもしろかった。

 ※お風呂の写真は、盗撮と間違えられたら怖いので撮らず終い。 

 さてさて、風呂から上がると、ついに豪華な料理たちが・・!

0038
 こちらは、宿泊セットになっていたコース料理。

 こんげなん豪華な料理生まれて初めてやし(゚д゚屮)屮

 こういった感じ↓↓

0042_4 0043_3 0046_4 0047_3  

 馬刺黒毛和牛(あれ、ヤマメだったかな?)、デザート

 この他にも、野菜味噌汁田楽なすなど、出てくるもの全てがおいしくってもう大満足confident

 腹いっぱいすぎて、ひとまず休憩。。。

0051_2

 南城苑は他の宿よりも高い場所にあったから、部屋からは温泉街が一望できた。

 夜の温泉街が放つ趣がこれまたお酒に合うこと合うこと。

 0050_4 0048_2 0049_2

 とりあえず格好つけてみた^^

 格好つける前に、もみあげ曲がってますけど・・^^;。

 お酒も語りもひと段落したら、もう一度お風呂に行って0時前には就寝。。。

 翌朝は6:30に起きてお風呂へ。

 誰よりも早く準備を済ませて、温泉街を一人散策してみた。

0064_20072_3 0073_4 0084_4  

 湯気を上げながら川沿に立ち並ぶ宿たちと温泉の由来となっているお地蔵さま。

 いやー風情ありますなー。

 こういったこじんまり感が堪らないです。

 旅行はひっそり楽しむほうがいい。

 静かな自然に囲まれて、夜遅くまでひっそり談笑し合うほうがきっと楽しいはず。

 今回はみんな疲れてて深夜までとはいかなかったけど、、、

 それでも、和やかな接客と和む温泉、おいしい料理と美しい町並み、そして楽しそうなみんなの笑顔に囲まれて、長老の私は大満足でした。

 また行きたいな、黒川温泉。

 (つづく)

| | コメント (0) | トラックバック (0)